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1771年からの歴史を持つ文化人ゆかりの宿「千歳楼」薬湯風呂再現プロジェクト

歴史の地、岐阜県養老町にたたずむ伝統の建物

そこは1300年受け継がれた名水の地

岐阜県養老町にある養老の滝は滝の水がお酒に変わったという孝行息子の伝説とともにその名を知られています。717年(霊亀3年)この逸話を伝え聞き、養老を行幸したと言われる元正天皇は、霊泉で患部を洗ったところ、すみやかに完治したことにいたって感動し年号を「養老」と改元されたそうです。

元正天皇の行幸から千年余りが経った1764年、この地に1軒の旅館が創業されました。

”末永く人々に愛されたい―”
その名も岐阜「千歳楼」です。

現在も建物の一部を使い営業中

1階のご到着ホール貴重なレトロな窓

2階大広間の素晴らしい雰囲気

大正ロマンを感じる客室からはたくさんの緑と濃尾平野を見下ろしており、鄙びた趣と緑いっぱいの明るい景観が印象的
(注)濃尾平野を見下ろすのは一部の客室です。

現在は5室にて宿泊が可能

近年特に建物の傷みが激しくなり、お客様に提供できる状態のお部屋の数が少なくこれまでに少しづつ改修工事を進め、現在5部屋お客様にお泊り頂ける状況です。(公式サイトにて詳しくご覧いただけます。※リンクはページ下部)

「松」をテーマにして使用材料と意匠をまとめたお部屋
腰板付き障子と欄間障子、じゅらく塗り壁と棹縁(さおぶち)天井で構成

日本画家「竹内栖鳳」のデザインによる十帖のお部屋
腰板付き障子、じゅらく塗りの壁と竹内栖鳳筆絹本絵画のある折上げ天井から構成


八帖のお部屋
網代の腰板付き障子、じゅらく塗りの壁と棹縁天井から構成

岐阜・千歳楼公式サイト、ご予約はこちらから

千歳楼と薬湯風呂の歴史

千歳楼のはじまり

1749年  岡本喜十郎(初代)が白石村字松原1719番地の土地を譲り受けた
1751年  1棟の住居「千歳楼」建設
1771年  菊水神社近くで薬湯経営開始

美濃国多芸郡島田村高田町(現在の養老町高田)に生まれた岡本喜十郎(初代)が寛延2年(1749年)に白石村字松原1719番地の土地を押越村から譲り受けました。
その後、岡本喜十郎(初代)は宝暦年間(1751年~1764年)に名勝養老の滝の開発を志し、この地に1棟の住居を建設し「千歳楼」と名付けました。
岡本喜十郎(初代)は養老の霊水を温める薬湯の計画を進め、明和7年(1770年)に菊水神社近くの土地を借り受ける契約を白石村と結び、明和8年(1771年)笠松郡代役所より薬湯経営の許可を受け、養老の滝の水と菊水の両水を引いた薬湯経営を開始しました。
2代目岡本喜十郎は浴場を千歳楼に移し、伊吹山の薬草を取り寄せ、その薬湯を沸かして養老探勝の人々に供したそうです。

度々訪れた危機

1873年  経営不振に陥り薬湯経営を株式組織に改める。日比四郎三郎による経営開始
1879年  大蔵卿松方正義の岐阜遊説の際、千歳楼に立ち寄る
1880年  養老公園開設願と計画書を内務省に提出
      開発資金として約四千円が寄付として集められ千歳楼を建て直す
      養老公園の管理運営組織として「偕楽社」を結成
      養老公園開園祝賀式

千歳楼はこれまでに何度も経営の危機を迎えています。
明治6年(1873年)4代目岡本喜十郎の時に経営不振に陥り、千歳楼の薬湯経営を株式組織に改め4代目岡本喜十郎は引退し替わって日比四郎三郎がこの温泉旅館を経営することになりました。
明治13年(1880年)養老公園開設に伴い、75名から寄付によって集められた約三千円により老朽化し粗末だった千歳楼も新たに新築されました。
そして月日が経ち、濃尾震災などを経て千歳楼は再び老朽化しました。
そこで岐阜県は大垣城内で料亭「吉岡楼」を営む吉岡松太郎に修繕と維持管理を依頼、松太郎は本館の修繕を行い、大正期には本館横に栖鳳閣を建築し、昭和初期にはは本館と栖鳳閣を繋げるかたちで流芳閣を建築し今の千歳楼の形になりました。

途絶えた薬湯風呂

なんとか危機を乗り越えてきた千歳楼ですが、千歳楼の起源でもある薬湯風呂は残念ながら現在は廃止されています。

新たな危機

大規模な修復工事の必要性

ここ数年の台風を含めた長年の風雨の影響を受け、歴史あるこの千歳楼も現在はかなりの破損状況にあり、大規模な修復工事の必要性が迫っています。
その保全費用総額は1億5千万円に及びます。
(全国古民家再生協会の概算算出による)

(2020年9月現在の建物北側の様子)

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クラウドファンディング実施中、皆様ご支援どうぞ宜しくお願いします。

再生のシンボルは、千歳楼初代が始めた養老の薬湯風呂

薬湯風呂は千歳楼の起点であり、養老公園の起点でもあります。
今回、千歳楼の大規模修繕の必要性に伴い、有志が一同に会し千歳楼復活プロジェクトを立ち上げ、その第1弾として「薬湯風呂の復活」を掲げました。

薬湯風呂の復活は千歳楼の再生のシンボルとして、更には養老公園再興のシンボルとして、取り組んでまいります。
皇族や政治家、文人墨客らに愛された千歳楼は日本の伝統文化のひとつとして次の世代に残していかなければならない建築物です。

建物保全と薬湯風呂復活の理由は二つ

①この建造物は貴重な国民財産、国の「登録有形文化財」の指定を受けておりしっかり保全し次世代に継ながなければなりません。
②次世代に歴史をつなぐこと、、、すなわち現在の6代目当主吉岡洋さんから7代目当主となる息子さんへその経営は引き継がれなければ(なりません。)ならないと考えています。

新たな薬湯風呂

月見の薬湯風呂

千歳楼本館の東端に月見台があります。
以前はこの月見台から養老の滝まで見えたそうです。
現在は木々が成長し養老の滝は見えませんが、月見台の窓から今でも見える木々は四季折々の姿を見せてくれています。
残念なことに現在この月見台は使用不可能な状況にあり、物置として使われています。
(写真:2020年9月現在の月見台)

今回の薬湯風呂復活プロジェクトではこの月見台を薬湯風呂の湯舟として復活させる計画です。
ゆっくり湯船に浸かって養老公園の自然と月を眺めてみたい。
我々はそんな夢を見ています。

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千歳楼開業当初から薬湯に用いた伊吹山の薬草

伊吹山は古くから薬草の宝庫といわれており、織田信長も薬草園を作らせたと言われています。
提供するのは、その貴重な伊吹山の薬草をブレンドした薬湯風呂です。

文化人に愛され、多くの方に支えられ紡いできた歴史の、”これから”を紡ぎたい

2021年春の薬湯風呂復活を目指しています

老朽化や風雨の影響に加え、この令和のコロナ禍で、千歳楼は大きな苦難の時を迎えています。
今、この危機を乗り越えるにも、個人の力には限界があり、皆さんのご協力が必要なのです。

宿泊していただくことで支援になります

お客様の宿泊費の10%を、千歳楼の保全費用に充てさせて頂きます。
是非、千歳楼へ、足をお運びください。

岐阜・千歳楼公式サイト、ご予約はこちらから

クラウドファンディング

クラウドファンディングは2020年11月よりスタートします。

必ず未来へつないでいけるようプロジェクトメンバー一同尽力いたします。
岐阜・千歳楼再建のため、是非とも皆様のご支援をお願いします。

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